合気道に関する岩間にある神社とは?

合気道は、天地の「気」に合する道という意味をもつ武道で、たんなる武術に精神性を求めたものです。

技の稽古で心身を鍛錬することで、自然との融和をはかり、世界との協調をめざすことを本来の理念としており、神道や大本教との関係が反映されていると考えられます。

そのため、合気道の開祖である植芝盛平翁が晩年、東京から茨城の岩間に転居した際、36畳の道場と神殿を建立しています。

現在の合気神社は、合気道に関する唯一の神社として、合気会茨城支部が管理しています。

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合気道の岩間にある神社の存在感

合気道の稽古をしている者にとって、岩間の合気神社の存在は、開祖植芝盛平翁が建立した神社であることもあり、合気会の会員にとって特別な存在です。

しかも、合気神社の存在は、国内海外を問わず、他流派の稽古者にとっても特別といえます。

合気道の理念に、自然との融和や調和といった概念が含まれていることが、神道や大本教の影響を受けていることを容易に想像させるものです。

開祖が心身鍛錬の場としての36畳の道場をつくり、そこに神殿を併設されたことは、その理念を具現化されたものといえます。

合気神社の変遷

合気道の唯一の神社である岩間の合気神社は、開祖植芝盛平翁が亡き後、弟子の斉藤守弘が守人として、合気道の技の伝達者ともなりました。

現在では、斎藤が伝えている合気道が岩間流として、認識されています。

3代目道主植芝守央と斎藤守弘が2001年に合気神社の修復を行い、その際、合気神社の文字が刻まれた石碑も建立されています。

その後、2009年に神社境内に植芝盛平翁の銅像が建立され、現在の合気神社の姿となっています。

合気神社と併設されている道場の管理は、合気会茨城支部道場が行っており、日本国内はもちろん海外からも稽古者が訪問しています。

合気道の精神的な聖地としての合気神社

合気道の開祖植芝盛平翁が、東京から岩間に転居して建立した道場と神殿が、現在の合気神社となっており、合気道の聖地となっています。

岩間に転居する際に、追随して開祖に仕えた弟子が斎藤守弘であり、合気神社の守人と開祖の晩年の技の伝達者としての役割を果たします。

その後、記念碑や銅像の建立によって、現在の合気神社の体裁を整え、多くの合気道信奉者が訪れています。

日本に古来から伝承されている武道の稽古の場とされる道場には、神殿が置かれていることが多く、八百万の神を信奉する日本人には、さほど抵抗感を感じることではありませんが、海外の稽古者の中には、合気道の神道的な要素に違和感を感じるものもいますが、その解釈には個人によって違います。

合気神社の存在と、道場の神殿の存在の意味合いには多少違いがあるもので、その解釈については、師範に聞いてみることも合気道の解釈の深化にもつながります。

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