合気道は、開祖植芝盛平翁によって創始された武道です。
合気道となる前には皇武会として門下生を抱えていた武道場であったものの、当時の戦時統制策により大日本武徳会の統制下に入ることになります。
その後、正式に「合気道」を名乗ったのは1948年の昭和23年に、「皇武会」が「財団法人合気会」と改称され岩間の合気苑を本部とし、改めて文部省の認可を受けた時からということになります。
その初代合気道「道主」が植芝盛平翁ということです。
合気道と名乗ったものは、現在では多くの流派が存在しています。
それらの流派を一覧してみると、植芝家の本家本流である合気会からさまざまに分派し、分派した流派からさらに分派していることがわかります。
合気道本家から分派した流派の一覧は?
合気道が、植芝盛平翁を初代道主として始まったことは前述の通りです。
この本家本流と言われる合気道団体は合気会と呼ばれるものです。
そこから、植芝盛平翁の弟子たちの中から、その教えに独自の解釈等を加え深化させることで、分派し創設した流派や団体が出現しています。
それらの流派を一覧してみると、主なものに次のようなものが挙げられます。
合気道養神館、万生館合気道、心身統一合気道会、日本合気道協会、天道流合気道、岩間神信合気修練会といった流派があります。
一方で、植芝盛平翁とは別系統の合気道も存在していて、次のような流派を一覧できます。
光輪洞合気道、武田流中村派合気道、ハプキドーといったものが挙げられます。
合気会から分派した流派からの分派は?
本家本流から分派してできた流派からさらに分派し、新たな団体として流派を形成したものも多数あり、一覧すると次のようになります。
まず、合気道養神館から分派し誕生したものは、合気道練身会、合気道親和館、養神館合気道龍、合気道S.A.、覇天会が挙げられます。
次に、心身統一合気道会から分派し誕生したものとして、正気会合気道、真武道会、合気道唯心会、実心館合気道、合気道光気会が挙げられます。
本家本流から分派し誕生した団体流派の中には、元々の合気道本家本流では行わない組手や試合を取り入れたものもあります。
合気道流派の分派の影響は?
開祖植芝盛平翁が創始された合気道の技の基本や概念といったもの自体は、本家本流から分派した団体でも同じと考えられます。
しかしながら、多岐に分派した流派を一覧してみると、各流派において新たな解釈を加えたり、技の創意工夫をなされたものにより名称や詳細の変更をなされたものが存在しています。
特に、合気道においては、基本概念に基づいて通常の武道において行われる試合の形式を取らず、演武という形態のものでしたが、覇天会や合気道S.A.といった流派においては試合形式のものや組手といった形態も取り入れています。
合気道という一つの武道において、その時代背景や取り組む人たちの創意工夫で深化していきます。
その結果として分派し流派が多岐に渡っても、合気道の本質が変化したものではなく、深化し多様性を持ったと解釈できます。