合気道の達人のさまざまな伝説

合気道の達人と呼ばれる人達には、さまざまな伝説があります。

合気道の達人といえば、合気道開祖である植芝盛平翁や、その高弟である養神館合気道塩田剛三館長が挙げられます。

塩田館長は、私の稽古していた道場の本部道場館長であり、実際に稽古でご指導を受けたことがありますが、隙のない方という印象が強くあります。

達人の伝説といえば、意外に眉唾なものもありますが、いくつか挙げてみます。

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植芝盛平翁の伝説は?

合気道開祖植芝盛平翁についての伝説といえば、156センチほどの小柄な体格でありながら、怪力の持ち主だったというものがあります。

怪力伝説となっているのは、京都府綾部の黒松の根起こしに、それまで7、8人で力いっぱい押してもビクともしなかった黒松を盛平翁が一人でゆっくり押し続け、根を一人で抜いてしまうほどの怪力だったというものです。

最も驚くべき伝説は、植芝盛平翁は銃弾を避けて相手を投げ飛ばしたというものです。

この話は戦前の話でありますが、植芝盛平翁の道場に軍隊の射撃の達人が稽古を見学していた際に、植芝盛平翁が銃弾を避けた話になり、植芝氏が銃の弾を本当に避けられるかどうか試されることになり、軍隊の銃撃手6人に25メートル離れた場所からの一斉発射し、砂埃が舞い上がった後には、植芝氏は銃撃手達を投げ飛ばしていたというものです。

このことを試すために、事故があっても文句を言わない誓約書まで書かせ、二回もやらせたらしいというのです。

しかし、銃弾を避けて、銃撃手を投げ飛ばせるものかどうかはわからないとしても、それほどの俊敏さと判断能力の高さを有していたことの想像はできます。

塩田剛三館長の伝説は?

養神館合気道の塩田剛三館長にも、伝説と言われるものがあります。

植芝盛平翁と同様に塩田剛三館長も154センチほどの小柄な体格でありながら、怪力の持ち主だったという話があります。

柔道家木村政彦は、拓大最強の男と呼ばれ、腕相撲では負けたことはないと豪語していたのを聞いた塩田氏が木村に挑戦し、三回対戦し二回勝利したらしいのです。

木村氏本人は、塩田氏には全敗したと述べていますので、どちらが真実かはわかりませんが、怪力の持ち主だったことは本当のようです。

塩田剛三氏は、格闘家岩倉豪とも手合わせをしています。

岩倉氏は塩田氏との手合わせで投げられ、左肩を外されていたらしいのです。

塩田剛三氏には、ケネディ大統領のボディーガードを取り押さえた伝説も残されています。

合気道の達人達は?

合気道の達人と呼ばれる人達は、数々おられますが、幸運にもその一人である塩田剛三館長には生前何度かご指導を受け、お話ししたことがあります。

普段は、小柄なおじいちゃんの印象ですが、日常の些細な動きにも隙がないと感じさせる人でした。

塩田館長の俊敏な運動神経の逸話の中にもよく出てくるのが、金魚の動きが参考になっていることを聞いたことがあります。

水槽の中を泳ぐ金魚の動きを参考にして、超人的な反射神経と集中力を体さばきで可能にするために鍛錬されたらしいのです。

現在の合気道を形作ることに貢献された達人たちのさまざまな伝説というものは、副産物として語られています。

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