合気道の稽古や演武を見ると、不思議なことがたくさんあります。
合気道なるものがどんなものか稽古を始める前に、私自身道場見学に約30年ほど前に行ったことがあります。
初めて見る合気道の稽古を見ていて、不思議なことだらけだったことを思い出します。
稽古している動きも不思議なもので、どうして人がいとも簡単に投げられるのかも、全てが不思議に満ちた感覚でした。
合気道の技の動きは摩訶不思議?
開祖植芝盛平翁が、合気道は摩訶不思議でなければならないと言われてらしいです。
これは、合気道は人間の力だけではなく、天地宇宙の力を借りて摩訶不思議な技を使うものだということらしいのです。
合気道は、合気術という武術に精神性を加味している現れといえ、おそらくは、呼吸が関係していると思われます。
合気道の基本技の数々の型は全て、人間の体の構造を考慮していかに相手を制圧するかを合理的に構成されています。
しかし、それだけではない技の世界があるのが合気道の不思議さだと思います。
道場での稽古に入れば不思議だらけ?
実際に合気道道場に入門して稽古に参加すると、しばらくは不思議なことばかりだと思います。
技の稽古に入る前には、基本動作の数々の単独での稽古を必要とします。
単独の体の変更や転換動作というものなどは、意味がわからない状態の時には、踊りの練習でもさせられているのではないかと思うほど不思議な動きにさえ感じます。
それが、技の型の稽古に入ると連携が理解できてきて、不思議が少しずつ解消されていきます。
合気道の技を全体として俯瞰できるようになるまでは、不思議の世界が消えることはなく、一定の段階まで達した段階で新たな不思議の世界が待っているという奥の深い武道といえます。
合気道の稽古はやればやるほど不思議が?
合気道を長年続けられている年配の方とお話しすると、同じ技を何年と稽古してきているのに、自分の体調や対する相手によっても変化していて、技がかかったり、かからなかったりと考えることが減ることがないと言われるのを聞いたことがあります。
確かに、合気道の稽古を続けていると技の型の習得本数も増え、それなりに使えると感じる瞬間があったり、昇級昇段といったことを体験すると武道家になった気分になる瞬間を味わうこともあります。
ところが、新入の稽古者を相手にした時に改めて技のかかりが違う感覚を持ったり、いつも稽古で相対している人たち以外との稽古では、それまでのものが通用しなかったり、思った以上にかかったりと不思議なことが多々あります。
合気道の稽古は、これらの不思議を消していくことが稽古なのかもしれません。
合気道の基本技や応用技等々は、各流派で体系づけされたものがあり、真髄にたどり着けるのは相当に時間と労力を要するので、それまで興味深い世界は続くといえます。